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染み抜き・洗い張り・悉皆業務 専門店 「ひな屋」は、機械で出来ない和服修復を専門とする職人の店です。

〒709-3703 岡山県久米郡美咲町打穴中1067-1

 織のお話し


織りの話

ちりめん お召し つむぎ ウールほか

たて、よこの糸質、本数、よりのかけ方、織り方などによって、織物の種類は多種多様にあります。
 糸の状態のときに染めて、しまや、かすり、格子(こうし)やいろんな模様に織り上げたものは、あと染めとはちがった深みのある美しさです。きもの通が好む織り柄のきもの地と、糸を染めず白生地に織り上げた、ちりめん、羽二重など、私たちの身近な織物のいくつかについて、安田丈一先生ほかに解説していただきました。
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繊維の種類

 織物を構成する繊維には、天然繊維と化学繊維の二種類があります。
 天然繊維は、古くからわれわれの衣生活になじみ深く、麻、もめん、絹、羊毛などそれぞれの特徴があり、色、手ざわりとも最高の美しさをもっています。
 化学繊維は、最初は絹へのあこがれから、それにかわるものを求めて研究くふうされたもので、十九世紀末にフランスで作られ、その後しだいに改良と研究を重ね、二十年このかた、合成繊維の発展から、今日では天然繊維の代用にまで進出しています。価が安くて、強い、その他種々の特長を生かして、布地にょっては天然繊維をしのぐのもあります。
 きものの世界でも、双方の繊維の長所をじょうずにとり入れた、新しい布地が、生まれ出てきています。
 
天然繊維
 もっとも古くから用いられたものは麻、楮(こうぞ)、藤など草木の繊維である。
ついで絹、もめんの順に大陸から輸入され、明治以後、絹織物はその美しさと生産量で世界に誇るものになった。
 もめんは庶民の衣服として、だれにも親しまれた。羊毛は、大衆のきものとしてはまだ新しいが、ウールのきものに、コートにと、新しい感覚で若い人たちに迎えられている。

 化学繊維
 現在、数多くある化学繊維で、きものに関連あるものを大別すると、「再生繊維」「半合成繊維」「合成繊維」になる。

再生繊維: 木材の繊維素を原料として作られるもので、レーヨンやキュプラ(ベンベルグ)などが、これに属するものである。
 レーヨンとキュプラは、どちらも絹に似たつやがあり、染色もきれいで、吸湿性もあり、安価。
 単独、または絹との交織で、ちりめん、お召し、平絹、夜具地などに種々使用されている。
 これらの絹織物に見えるものは、長繊維であり、短繊維に切って使うときは、もめんやウールの風合いをもつものになる。

半合成繊維 木材の繊維素を酢酸で処理したもので、アセテートがある。
絹や羊毛のように軽く、光沢もあって、しわになりにくく、吸湿性があり、価も安いが、欠点は熟に弱く、アイロンかけにじゅうぶんの注意が必要。引っぼりにも絹くらい弱い。
 訪問着、小紋着尺、裏地などに使用される。

合成繊維 原料は石炭、石油、天然ガスなどから合成したもので、現在私たちの身近には、ナイロン、ポリエステル(テトロン)、ビニロン、アクリル繊維などがある。
 それぞれ多少の相違はあるが、軽くて弾力性があり、じようぶさの点は申し分ない。
 吸湿性が乏しいので、ほだ着には不向きだが、水洗いにかわきやすく、よごれもとれやすい点で、天然繊維にまさっている。絹、毛と交織、混紡してもよく、安価なので、アセテート同様に着尺、コート地、和装小物用として広く使用されている。

■ ちりめん ■――――――――
 ちりめんは、高級な絹織物として、あと染めの着尺地にもっとも多く使われています。ちりめんの特徴は、布面にちぢみじわがあり、これをしぼといいます。しぼの大小によって、ちりめんの種類を分けるが、しぼのために色に深みを添え、てりを消して、独特の味が生まれるのです。
 英語でCrape(グレープ)、仏語でCrepe(グレップ)と呼ばれ、世界じゅうのだれからも愛され、好まれている布地です。

 歴 史
 そのはじめは中国とか。奈良時代のもので、法隆寺にある古裂(こぎれ)にちりめんがあるというが、おそらく大陸から伝えられたものであろう。
 日本では桃山時代、明からの織工が泉州堺(大阪府)ではじめてちりめんを織り、のち京都西陣へ移って織り場をもったという。
 
【はた織り図(高ばた)勝川春章画】

徳川時代の初期には、日本風のちりめんが織られていたが、その技法は、家伝の秘密とされ、他国者や奉公人の容易にうかがい知るところではなかった。そのころ丹後(京都府)では、精好(せいご)や絹つむぎの手織りを織っていたのだが、どうにかしてこのちりめんの製法を知りたく、絹屋佐平治ほか二、三の人が、日ごろ信心していた観世音の夢のお告げにより、京の西陣におもむいてはた場に住みこんだという。
さまざまな苦心の末、その秘密が撚糸(ねんし)にあることをつきとめ、撚糸の構造をさぐり出し、丹後峯山に逃げ帰り、今日もなお同じ、八丁撚車(はっちょうねんしゃ)を組み立てたのである。
 八丁撚糸機ともいい、ちりめんのよこ糸の撚糸機であって、自転車の輪ほどの車になっており、常に水がかけられながら糸がよられる。ちりめんは、この撚糸機がもっともたいせつな役目をしている。
 丹後に次いで、江州長浜(滋賀県)、岐阜、桐生(群馬県)、越後(新潟県)と、ちりめんの製法はひろがっていったのである。


【精好: 帯、はかまなどにする平織り地、しま柄が多かった。】

現在のちりめんとしぼについて
 丹後でのちりめんの生産は、今日も種類、数量においてもっとも多い。
 浜ちりめん、または古浜(こはま)ちりめんは江州長浜に産するちりめんのことで、くろうと筋には良質のものとされている。シボのいくぶんあらいもののことを古浜という人もあるが、一越ちりめんの生まれない前は、産地にかかわりなく、ちりめんはシボがあらかった。
 当時のちりめんは、よこ糸の右よりと左よりを、二本ずつ交互に織り上げたもので、これを二越(ふたこし)という。
一越というのは、右より、左よりのよこ糸を一本ずつ交互に織ったもので、大正十年ごろはじめて作られた。
 つまり、越というのは、ちがった方向によったよこ糸を境とした、よこ糸の本数をいうのである。
 ちりめんはいろいろな糸で織られており、生糸、玉糸、絹紡(けんぼう)、レーヨン、合繊、それらの交織などがある。糸の太さ、よりかげん、よこ糸のよりの打ちこみ方法によってシボが変化する。
しぼ山の高いのや低いの、あるいはこまかいものなど、それには強いよりのかかったよこ糸が作用するが、そのまP255まではちぢれて作業ができぬので、よると同時にのりで伏せて、よりのもどらぬようにする。織り上がってからそののりを洗い落とすと、よりのちぢれの反発力で、しぼがあらわれる。

--------------------------------------20140406 ここまで入れる



 丹後ちりめんについて

 日本のちりめん生産量の約80パーセントが丹後です。京都府与謝郡、中郡、竹野郡、熊野郡などがふくまれており、約二万二千台の織り機で織られています。
 多くの種類が濁るうち、最近ではこまよりりんずちりめんが、そのボリュームのある風合いによって、一越ちりめんをしのいで生産されています。
目方について 本絹のちりめん、羽二重などは昔から生地を絹の目方で売買する慣習になっています。「目づけがある」といえば、どっしりと持ち重りする生地をいい、糸の太さとよりが平均してよく、打ちこみのしっかりした上等品です。
 丹後ちりめんで、重目のものは600~675g(160~180匁)で、軽目のものは488g(川
匁)前後。長者には180匁内外の重目のものがよく、羽織には、あまり重いものはすべって着にくいのです。
 垂目のものは、布地がしっかりしているので、布幅も広く、すれて薄くなることもなく、何回か染め直しも.きくので、結局経済的です。
責任をもって自布地の反物が手もとにありましたら、織り終わりの布耳のところに、よこ糸が一本太く織りこまれているのに気がつくでしょう。これは、その反物を織ったはた屋の名をしるした渋紙が、こよりにして織りこんであるので、一反一反について、このように責任のある仕事が、いまもなおつづけられているのです。
  (丹後織物工業組合調べ)






一越ちりめん しぼが割合に小さく、薄手のわりに、しっかりした地合いなので、染め着地としてよく知られている。

きんしゃちりめん 三越(みこし)の織り方で、細糸を用いて薄手に仕上げる。ごく薄いものをパレスと呼び、すそまわしなどに用いる。

紋りんずちりめん 紋織り機を用い、しゅす織り、または綾織(あやお)りで、地模様を織り出したもの。この方法で、こまより糸(強撚糸きようねんし)で織られるこまりんずちりめんが、最近の訪問着そのほかの高級着尺地のほとんどである。
 紋ちりめんは薄手なので、長じゅばんなどに用いられる。石川県小松市に多く産する。

ぬいとりちりめん 白のちりめん地に金糸、銀糸、うるし糸などで模様をあらわしたもの。白地のまま羽織に仕立てる向きもある。
        ヽ
■このほかシボのあらい鬼しぼちりめん、うずらちりめん、縦しぼの強い絹ちぢみ、楊柳(ようりゅう)ちりめん、壁糸といわれる特殊な糸で織った壁ちりめん、絽目(ろめ)を出した絽ちりめんなどがある。




■ おめし ■―――――――――――――――――――
 絹織物には、生織物(なまおりもの)と練織物(ねりおりもの)とがあります。
生織物は、生糸で織ってから精練(湯にひたして生糸についているにかわ質を落とす)したもので、これをあとねりといい、ちりめん、羽二重などがこれです。
 
 お召しは練織物で、生糸のうちにねって染め、お召しよこといって、のり入れをして、右よりと左よりのよこ糸を、二本ずつ交互に織ったもの(二越ふたこし)です。

【紋りんずちりめん(さや形地紋  P255 写真の説明】


歴 史
 天和(てんな)年間に柳条(しま)ちりめんとして織られたのが、お召しのはじまりという。お召しの呼び名は、もと宮中に納入した、お召し衣料のことから出たが、十一代将軍家斉(いえなり)はおしゃれな殿さまで、なんど色の地に、約6mm間隔の格子柄のしまちりめんを織らせ、これを「おとめじま」として、他の着用を禁じた。これがお召しの呼び名を深く印象づけ、この織物を「お召し」と呼ぶようになったと伝えられている。

 現在のお召し

 絹織物であったお召しは、近年各種の糸で織られるようになった。中にはお召しとは全然はだ合いのちがうものまでも、先染めでありさえすれば○○お召しと名づけられている。 お召しは、しま、かすり、紋と柄はどのようにも織られるが、昔のお召しとくらべて、最近のものはシボが小さくなっており、こまお召しといって、全然しぼのない平らなものもある。
 絹製品のお召しの生産量は、京都の西陣が最高。十日町(新潟県)は、ぬいとりお召しを得意としているが、最近では需要が少ないので、紋お召しによい品ができるようになった。十日町はほかにこれといった産業もなく、機業地として発展し、お召しとしての歴史は浅いが、まじめなよい製品が作られている。
 桐生は、江戸時代からお召しを手がけ、今日までつづいている古くからの生産地である。本絹と化繊、合繊との交織お召しも、時流とともに多く作られている。正絹物のみのはた屋は現在二十数軒で、ここでできるお召しは、長い伝統の上にあってよい品である。
 米沢(山形県)もお召しの産地だが、現在は男物が主になっている。

上代お召し つむぎ糸をあしらったお召し。そのため、ふつうのお召しのようになめらかでなく、紋織りの場合でも、模様があまりはっきりしない。中年の渋好みによく合い、価格も一般のお召しよりいくぶん高い。

ぬいとりお召し 模様が刺繍のように織られていて、此較的はで物が多いが、最近の絵羽(えば)お召しにはこの手のものが多い。

かすりお召し かすりをあらわす技法は手くびりといって、昔ながらの手工芸なので、技術者が年々少なくなり、また着る立場からは、かすりというとふだん着の感じがするので、若い人には向かないためか昔ほど生産はない。

紋織りお召し 紋柄のお召しだが、いろいろな織り方がある。ジャカードマシンによって織られるが、平面的な織り方の絵ぬきお召しや、二重組織の風(ふう)通お召しなどがあり、よそゆきとしてのちょうほうさが好まれている。

■いまいちばん好まれているのがウールお召し。夏を除いたスリーシーズンに、裏なしで着られると宣伝されたのと、しわがよりにくいよさなどがあいまって、需要が多い。紋織りになったものは、縞や化繊との交織がほとんどである。
■いたりあお召しというのがあるが、これはお召しとはまったく異質なもので、ナイロン、レーヨン、綿の交織であり、グリンプ加工で一見お召し風に見える。二千円以内という経済性、手入れしやすい実用性が好まれている。

織り機にかけられるのを待つ糸P256 写真説明





■ 羽二重 ■――――――――――――

 昔、羽二重は「帛(はく)」といいました。平絹の類で、この名称は天正以後のことでしょう。羽二重にはいろいろと説があり、精巧鳥(せいこうちょう)の羽を二つ重ねたようなのでとか、下総(しもふさ)埴生(はぶ)郡羽鳥村(はどり)(現在 千葉県印旛郡内)で織られたので、埴生帛(はぶはく)のあて字であるとかの説ですが、信じられるのは、羽二重の織り方が、一つの筬歯(おさば)がたて糸二本を通すので、歯は羽に変わり、二は二本の糸、重はへツルという、筬歯に糸を通す俗称から、この名が生まれたという説です。
 小幅物の羽二重は、振りそで、留めそでなどの式服の下着とか、染め帯、すそまわしの布地を主とし、表衣としての需要はほとんどなくなっている。
一部喪服、男物の式服としての紋つきに使用されてはいるが、これも昔とはくらべられないわずかな量です。
 明治から昭和のはじめにかけては、小紋染めとして、きものに好まれて、すそさばきのよさと、絹ずれの音が愛されたが、しみをつけたときなどとれにくく、よごれやすい欠点がきらわれたのでしょう。


塩瀬羽二重 よこ糸に太糸を使い、織り目がつんだうね状になっている。半えり、染め帯などに用いられ、新潟県五泉(ごせん)、福井地方などで織られている。

軽目羽二重 紋つきなどにする重目に対して、薄手に軽く織られたもの。婚礼衣装などの下着に。

紋羽二重 地紋を織り出したもの。最近は交織におされているが、長じゅばんによく用いられた。

輸出羽二重 広幅に織られるので、胴裏にそのまま背ぬい目なしに仕立てると、ぬい目の織り糸がしけず、着た姿もよいので喜ばれる。総しぼりの着尺の裏打ちにも、この羽二重を用いる。


■ しゅす織り・ りんず ■―――――
しゅす織り 平織り、斜文織りと並んで織物三原組織の一つで、たて、またはよこ糸が、ある長さに織物の表面に浮き上がる織り方。
 五本のたて、よこ糸からなるのを五枚じゅすといい、糸の本数によって七枚、八枚など多くの種類があり、帯、コート地に用いられる。

りんず ジャカード機を用いて織る、ちりめん糸のしゅす織りで、主として模様には裏じゅすを用いる。 軽目のものは祝儀、不祝儀の長じゅばん地になる。
 こまりんずほ強撚の四枚じゅすで、訪問着、小紋などの染め布地として、最近多く使用されている。


■ 銘仙 ■――――――

めいせん:ウールのきものがあらわれて以来、夜具地ぐらいで、きもの地としてほ、サッパリ店頭に見られなくなってしまった。
 生産地は、秩父、伊勢崎、八王子足利など関東周辺の都市。それまで太織(ふとり)と呼ばれていた織物の技術が、明治の中ごろから改良されて、めいせんが生まれた。
初期のものに双子(ふたこ)織りの赤じまめいせんというのがあり、当時は大いに人気があった。
 かすりめいせんは、山の手の奥さまのふだん着に好まれた。模様めいせんは、はじめ伊勢崎で作られたもので、よこ糸をあらく織って小紋のように型染めし、捺染(なっせん)後ほぐしてから織る方法で、ほぐしめいせんとも呼ばれる。これは一時若い人のきものとして、非常に人気があった。
 今後は化学繊維との交織で、じようぶさを増し、きもの地としてよりも、夜具、丹前地などに残ってゆくことと思われる。

黄八丈: その名のとおり、あざやかな黄色と、しま柄、格子柄が特徴の織物。種類は黄八丈のほかに、とび八丈(茶色)、黒八丈(男物のそで口布、かけえり用)がある。
 都下八丈島で作られ、植物性染料かりやす(黄)、まだみの樹皮(茶)、しいの樹皮(黒)を使って、糸が染められるが、手のかかる仕事なので、現在は生産量もわずかになってしまった。
 八丈島のほかに、米沢、秋田、八王子などでも、化学染料を使って黄八丈が作られている。


八端(はったん): 厚手に織られた綾織物で、織るとき、八反分の糸をかけるのでこの名があるという。夜具、丹前地に多く用いられたが、最近はめいせん同様、ごくわずかに生産されるだけになった。

【絹紡糸】 くずまゆ、一回使った生糸などを、紡績機械でつむいだ糸のこと。機械つむぎ糸。

■ つむぎとは ■――――――――――

真綿から手でつむいだ糸で織った布地のことを、つむぎといいます。古くから各地で作られ、もめんとともに自給自足のための織物であり、昔は太織(ふとり)といわれていたものです。
 平絹やちりめん類にくらべて、素朴で、一見もめんと見まがうごつごつした感触、植物性染料を主とした(最近は化学染料)渋い色合いは、いかにも田舎びた織物で、柄もしまやかすり模様が主です。着るほどに、はだになじみ、底光りのするその持ち味と堅牢さが、親しまれています。
 現在は、手つむぎ糸のかわりに、絹紡糸や、つむぎ風の糸にしたものが多く使われ、大衆向きには、もめんその他との交織もあります。



■ 結城つむぎ ■――――――――――――

  結城つむぎは、玉まゆからとった真綿の糸を使って、昔ながらの手法を守って織り上げたきもの地です。 ふつうの絹のようなつやのある布地とちがって、もめんのような渋い地風が、はじめは張りがあって、着ているうちにからだになじんでやわらかみが出てくるのが特徴です。

かすりとは 
 「併(あわせ)る」のにんべんを糸にすると、「絣(かすり)」とよむ。糸を合わせながら柄を織り出すという意味から、この文字となったものといわれる。
 外国での名称はマライ語で「イカット」といい、結ぶとか、しぼるとかいう意味がある。かすり糸を染める前に、柄になる部分を糸で結ぶため。
 日本では織るとき、外国では染めるときの作業から名づけられたわけだ。
 古くから保存されているかすり織りで有名なのは、正倉院裂の広東(カントン)錦で、これは外来か国産かはっきりしない。
 日本でかすりが盛んに織られたのは江戸中期で、最初は東南アジアの島々から沖縄にはいり、それから日本に渡って来たものと推測される。そして日本の南から北に伝えられ、それぞれの地方の風土となじみ、麻に絹に、もめんにとくふうされて、独特なかすりが生み出された。 このかすりには、たて糸だけのかすり糸で柄を構成する縦がすり、よこ糸による横がすり、たて、よこのかすり柄を合わせて柄を作る縦横がすり、みぞを彫った仮ではさんで、糸染めをする板締めがすり、仮織りをして型染めをし、それをほぐして織り直すほぐし織り、むしろのように織って染料につける締ばたなど、地方によっていろいろなおもしろいかすりの種類がある。


 昔ぜいたくな人が、最初の一年間はねまきに着るといったとか。いまは、高級なおしゃれ着として、きもの通に貴重品とされています。
 
歴 史
結城つむぎは茨城県の、栃木県寄りの人口五万ほどの結城市の周辺で作られている。室町時代に、このあたりの領主であった結城氏から、毎年つむぎ織りを幕府に献上したのが、結城つむぎの起こりと伝えられている。その伝統と技術は、今日もそのまま受けつがれて、結城市を中心とした村々で、昔と変わりなく、いざりはたによるはた織りがつづいている。
まゆから糸まで つむぎには真綿からとった糸を使う。まず、玉まゆを苛性(かせい)ソーダ(昔は灰あく)をまぜたぬるま湯で煮て、水でさらし、まゆを一個ずつ一定の大きさにひろげる。

 玉まゆの説明
玉まゆ 蚕が二匹で一つのまゆを作ったもの。
真綿は、玉まゆ、出殻(でがら)まゆなど、糸に引くことのできないまゆを原料として作られる。



 ごまをすった水に真綿をひたして乾燥させ、「ツクシ」と呼ばれる台にからませて、糸口から細くよりながら引き出されてゆく。
引き出した真綿糸を、指先で一定の細さに加減しながら糸にして、かたわらの桶にためてゆく。これを糸とりといい、なれた人でも一日につむぐ糸の量はだいたい18gぐらいで、一反分の糸を用意するのには一カ月余りかかる。
 次に、この糸をそろえ(「糸のべ」という)、もめん糸でくくる。
 くくりは、かすりのでき上がりを左右する大事な仕事で、こまかいものほど手数がかかる。このあと染め屋の手にょって染められるが、結城つむぎはおもに藍染めであり、昔は玉藍を使ったが、現在はスクモ藍が多い。


藍について
 紺のかすりもめんのさえた藍は、日本固有のもの。
 藍草は、現在徳島県の吉野川沿いで栽培されているが、年々作付け面積が減少している。藍の質も昔にくらべて低下しているのは、やむをえない。藍染めにはスクモということばがよく使われるが、スクモというのは、藍の葉をきざんで積み上げ、発酵させたもので、玉藍はそれをもちつきのように杵でつき、だんごにしたものである。
 数十のかめを並べ、その水にスクモまたは玉藍を入れて、灰あくか石灰を調合して発酵させるのだが、このとき一定の温度が必要なので、かめの底をあたためて温度を調節する。これを「たてる」といい、藍だてにはむずかしい技術がいる。
藍の色は茶かっ色であって、紺色になるのは、空気にさらすと酸化発色するからなので、糸染めも布染めも、常に空気を入れる。これを「風を切る」といい、この作業のくり返しを重ねて、はじめてあの深い藍色になる。
 いまはこの藍染めをする技術者も少なくなり、藍だてのときも化学藍をまぜているのが、ほとんどである。
 本藍を惜しむのは郷愁であって、化学染料の進歩の前には、やがて消え去るもののようだ。

 
織り方
 結城つむぎには、平織りとちぢみ織りとがある。
 本来の結城は平織りだが、平織りは糸とりから丹念に神経を使わないと、製品になってむらが出たり、かすりのくずれがすぐわかるので、たいへんむずかしい。平織り結城つむぎは、無形文化財に指定されている。 
ちぢみ織りは、よこ糸にちりめんと同様なよりをかけて織り、織り上げたらぬるま湯にひたしてもみながら、糸ののりを落としてちぢみを出す。この作業は結城独特で、買継商(かいつぎしょう)といわれる家々で行なわれる。
 どちらも、織り機としてはもっとも古い方法の、いざりばたで織られる。
両手と腰と足指とでバランスをとりながら、樫(かし)の木の杼(ひ)(よこ糸を適す道具)
を使って、かすり目を一本一本合わせながら織るので、一反を織り上げるのに、こまかい柄では一年もかかることがあるという。

大島つむぎ
 大島つむぎは、深い茶かっ色の泥染めの色と、幾何学的なかすりをあらわす、こまかな模様とが特徴の織り方です。ちょっとした訪問に、街着に、その上品な着ごこちが喜ばれ、男子物のお対(つい)にも用いられています。
 最近は茶かっ色と藍のほかに、白地のもの、黄、赤など多彩色のものも作られるようになりました。

歴史
九州南端の奄美大島と鹿児島市が主産地。昭和のはじめごろまでは、奄美大島産のものを本場大島と称し、鹿児島の製品を鹿児島大島と区別していたが、第二次大戦後は、奄美大島から疎開した人々が鹿児島で製織をはじめたので、現在はどちらも区別がない。ただ織物の組合は鹿児島と奄美大島との二つに分かれており、商標もちがったものをつけている。
大島つむぎの最初は、奄美の笠利(かさり)村の婦人が、手織りの布をせんたくするために、たんばにひたし忘れて、翌朝、水からとり出してみると、茶黒く変色していた。その色がよいので、こんどほ糸染めしてたんばにつけて織ったところ、すばらしい布地になったといい伝えられている。
 
染め方・織り方
 染液は、テーチキ(一名シャリンバイ)というタンニン酸の強い植物が原料。その樹皮を斧で、こまかくくだいて煮出した液に、何回も糸をつけて染め、そのあと糸を泥田の中につけてくり返しもみこむ。この地方の泥は鉄分が多く、染液のタンニン酸と鉄分の作用によって、あの茶がかった深みのある独特の黒に染め上がる。
 
大島つむぎ(写真説明)

 染色のためのこの方法が、一方では樹脂加工と同様しわを防ぐ効果のあることが、最近になりわかってきた。
 商品として市場に出たのは明治時代になってからで、そのころはつむぎ糸だけで織られたので、大島つむぎと名づけられたが、現在は、すべて生糸がこれにかわった。
 大島つむぎのかすりごしらえは、締(しめ)ばたといってもめん糸を使い、かすりになるところを仮に織り上げるが、それがムシロのようになるので、むしろばたともいう。それを染めてのち、もめん糸をとくと、かすり糸ができるので、その糸を整経し、織り上げる。
 糸染めから締(しめ)ばたまでは、力仕事のため男の手で行なわれ、はた織りは女性の役目になっている。結城つむぎと同様に手間のかかる苦労の多い手仕事の産物で、一反織るだけに1ヶ月以上もかかるこまかいかすり柄など、二、三万円以上もする高価なのもやむをえないことである。

泥藍大島 地糸はテーチキ染料で茶黒に染め、かすり糸を藍染めし、泥につけて発色させる。


村山 大島(写真説明)


藍大島 藍染めのみの糸によって製織りされるので、はじめに湯通しをして仕立てても、色落ちすることがある。ほとんど鹿児島産。

白地大島 かすり模様を、泥染めまたは泥藍染め、その他の色染めにした白地。高級なおしゃれ着に。
夏大島 ほとんど鹿児島で作られ、糸が細くよりが強く、薄手なので、ひとえにする。色は藍が多い。

■大島は非常に酸に弱いので、注意する。ベンジンや揮発油は禁物。合成洗剤を使用するとよい。


村山大島
 東京都下村山の付近で産するかすり織りのことを、村山大島といいます。
この染めは本大島とちがって、化学染料を使い、板締めの手法で染めるので知られています。
 柄、色調子も自由で、価格も本大島にくらべて約三分の一安く、大衆向きといえましょう。



歴史

 昔この付近で織られた砂川太織<ふとり>(玉まゆ織り)と、村山紺がすりの技術を合わせて、大島つむぎからヒントをとり、明治中期から大正初期にかけて、幾多の苦心の末に作り出されたもの。

 染め方・織り方

 板にかすり糸の図案に合わせたみぞを彫り、その板に糸を巻き重ね、機械力でしゆつけて染料を流しこむ。する、と、みぞの部分は染まり、しめつけられた糸のところは染まらずにかすり糸になる。こめ作業にもコツがあって、まんべんなく染料が、一定の濃さに行
きわたらなくてはならない。
村山大島は、このかすり板が生命。おもにミズメザクラという山ざくらの一種を使うが、この木はきめがこまかく、水に強く、湯や染料にふやけないので、糸をしめた場合によい。柄によって何枚もの板がいるので、1cmほどの薄さの板が、柄によっては、人の背たけほど必要になることもある。
 織りは賃ばたといって、農家の副業として、高はたというのを使って織られるが、東京に近い土地がら、織り手もだんだん減る一方で、本大島とちがった庶民性のあるこの織物のために、惜しいことである。

塩沢つむぎ
 新潟県塩沢で織られるのでその名があります。この辺は昔から麻織物の産地でしたが、麻の需要が少なくなり、その技術を絹に生かしたわけで、絹織物としての歴史はまだ新しい。
 最初は座練糸(ざぐりいと)という、家庭でできる簡単な製糸の方法の糸で織られたが、 この糸は機械製糸にくらべて均等でなく、荒いので、それがかえって、つむぎ風のザックリとした風合いとなって喜ばれました。
 生産量が増して、座繰糸を使っていたのではまにあわなくなり、いつか上質の糸を使用するようになった。昔の素朴な味は消えたけれど、そのかわり糸がよくなっただけに、手のこんだかかすり柄が作られるようになってきた。
 同じ新潟県で、山一つ向こうの十日町でも同様なものが作られていて、ここでは十日町小がすりと呼んでいる。 
 
夏塩沢 強くよった撚糸で、薄手に織ったものを夏塩沢といい、これは盛夏向きに用いられる。

その他のつむぎ
産地の名をつけたもの、独自の名をつけたつむぎもあります。

石下(いしげ)(豊田)つむぎ 茨城県石下町付近に産する交織織物。たてに絹、よこに綿糸を用いて、つむぎ風な地合いを出したもので、街着用に四千円~六千円よろこばれている。

小千谷結城(おぢやゆうき)小千谷で産するつむぎ織りで、たては機械つむぎ糸、よこは手つむぎ糸を用いて織ったもの。横がすりが多い


信州つむぎ 長野県上田、松本、飯田などで作られるつむぎ織り。糸はよこ糸だけつむぎ糸を使ったものが多く、模様は格子、しま、飛びがすりなどのさっぱりした柄が多い。

郡上(ぐじょう)つむぎ 岐阜県郡上八幡付近に産する上質のつむぎ。たて糸につむぎ糸を使うものが多い。

久米島つむぎ 琉球の、久米島で産する。たて、よこともつむぎ糸、染料も植物染料で、在来のままのかすり柄が織られている(沖縄の織物参照)。

 もめんがすり
紺もめんのかすりは、農村女性の働き着とされていました。その労働着はよそゆきのはなやかさとはちがって、洗いざらした藍色のさえた美しさをもっています。
 それは茶摘み女の紅だすきの姿であったり、黒木を頭にのせた大原女のきものだったりして、絵になるほど。近ごろはその風景にかわって、都会の若い人たちの間で紺がすりが好まれてきました。
 これは、紺がすりのメーカーのPRによるものではなく、着る人の洋服的なセンスから、すなおに好まれたものと思います。

 歴 史

 万葉集に「わた」のことばがあるが、これは棉花(めんか)でなく、他の繊維質のもの
であろう。
一般に知られているのは、延暦十八年、コンロン人(インド人)が三河国(みかわのくに)に漂着し、棉の種子を持って来たと伝えられている。ただ、この種子は日本では育たなかったという。
 もめんが庶民の衣服になったのは足利時代の中ごろからで、朝鮮との交易によって、日本にもたらされた。日本からの銅五斤と、朝鮮の綿布一匹という割合で、年間約十万匹も輸入されたという。
 日本でもめんがはじめて織られたのは天文年間(室町幕府第12代将軍・足利義晴1521)に薩摩(鹿児島県)においてであった。琉球もめんの手法により、琉球綿を使ったもののようである。その後棉の栽培が各地で盛んになるとともに、扱いが古来の苧麻(ちょま)つむぎよりやさしく、染色もきれいに上がるので、かすり織りの手法とあいまって、やが
て自給自足のための衣料となった。
■絣織りとは 織る前にあらかじめ文様にしたがって染め分けた糸(絣糸)を用いて織り上げた模様織物古くから世界各地で織られていた。
日本でのかすりという名称は織り出された文様の輪郭が絣糸の乱れによって、かすれたように見えることから名付けられたとされている。

 もめんがすりの種類

 現在のかすりには各産地の名がつけられているが、その特色は薄くなり、流行の柄がどこででも織られるようになった。たとえば、琉球がすりの特色だったつばめが、どこのかすりにも見られるなど。
 色も、紺地に白ときまらず、赤、黄、ブルーなどの配色や、夏用は白地で新鮮さを出したものが多くなってきた。
 

 久留米がすり

 江戸時代の終わりから、現在の福岡県久留米市を中心に生産され、もっとも有名なかすりである。
 井上でん女によって、かすり織りの方法が発明されたと伝えられるが、その陰に研究家の田中久重、紺屋佐助という人々の力があずかっていたことも見のがすことはできない。
 紺地に、白または青抜きのかすり柄で、都会では子どものふだん着に、農村では労働着として広く愛用された。
 
各産地のかすり 
 伊予がすり 四国の伊予地方(愛媛県) で織られる。久留米がすりと同様な紺がすりが多い。


写真説明
久留米がすり    捜供/日本綿絣振興会
作州がすり      提供/伊勢丹
伊予がすり
広瀬がすり     提供/たくみ

備後がすり: 久留米がすりの流れをくむものだが、最近はそのほとんどが機械織りになっている(広島県)。

倉吉がすり: 嘉永年間から織られ、絵がすりとしてなかなかすばらしい模様のものがあったが、惜しいことに最近はほとんど織られていない(鳥取県)。(昭和39年現在)

作州がすり: 戦後、倉吉がすりの流れをくんで織られだしたもので、絵がすりが多い。絵柄が紺地に白くばっちりと抜けている(岡山県)。

そのほかに薩摩がすり(鹿児島県)、広瀬がすり、弓浜がすり(以上、島根県)、
琉球がすりなどがある。

マンガンがすり: 加工染めで、かすり織りのように模様を出したもの。塩化マンガン溶液に、あとでかすりになる糸をひたし、他の薬品の加工でかすり模様が発色する。最近の価格の安いかすりは、ほとんどこのマンガンがすりである。 浜松地方(静岡県)が主産地。
白がすり: 夏のきものとして、白地に紺または黒の蚊がすり、十の字がすりなどを織り出したもの。                   
 これには、大和がすり(奈良県)、館林(たてばやし)白がすり(群掲県)などが、もっとも知られている。

かすり柄の種類

 かすりには、たて、よこの糸の合わせ方で、いろいろな柄の種類がある。
 十の字がすり、蚊がすり、井げたがすり、亀甲がすり、矢がすり、とんぼがすり、散りがす力、そろばんがすりなどが、おもなもの。

亀甲がすり 蚊がすり とんぼがすり   提供/伊勢丹




■ 麻織物 ■―――――――――――――――――――
麻織物は、もめんより古くから、衣服として用いられていました。庶民の衣服が絹、もめんにかわったのちも、特殊な麻織物だけは、高級な夏布地として残されてきました。越後上布、能登上布、宮古上布、麻ではないが芭蕉布なども同系統に属します。

■芭蕉布の材料 糸芭蕉の繊維
 麻には亜麻(あま)、苧麻(ちょま)、大麻(たいま)、黄麻(こうま)などがあり、外国でリネンと呼ばれるものは亜麻で、日本に産するものは苧麻と大麻です。

 最近は麻の風合いを生かして、とり扱いのらくな化繊(レーヨン きゅぷら再生繊維をさす)、合繊(ポリエステル アクリル)との交織布地が出て、価格が安いのが魅力になっています(247ページ)。


 越後上布
 越後上布は、宮古上布と並んで、麻織物の最高晶です。宮古は藍染めであり、越後は、雪ぎらしの白が特徴。一名、小千谷ちぢみともいいます。
 越後上布のシャリッとした着ごこちは、真夏に風を適して涼しく、水をく
ぐらせれば、またさらりと着られるよ
さは、ほかにくらべられません。

歴史 この織物は昔、越後(新潟県)の魚沼郡一帯で製織されていた。この地方は、豪雪地であり、冬季農業ができず、その間の仕事とした。幸いに麻織物が気候と調和し、とくに雪がたいへんに役だった。
 
 北越雪譜(ほくえつせっぷ)(鈴木牧之著)に、「雪の中に糸となし、雪の中に織り、雪の水にすすぎ、雪の上にさらす。雪あってちぢみあり、越後ちぢみほ雪と人の気力相半して名産の名あり、雪はちぢみの親というべし」と書かれている。
 現在、この製織に従事している人はごく少なく、昭和三十年に重要無形文化財に指定された。そのとき、品名を小千谷ちぢみとするか、越後上布とするかに迷ったようであるが、小千谷は越後の一地区の名であり、集散地であるということで、越後上布に決定したらしい。
 この織物を越後に育てたのは、いまから約三百年前、もと松平山城守の家臣であった堀次郎という浪人で、小千谷に移り住んで織物を研究し、かすりとちぢみを麻織物で仕上げた。
糸から織りまで 越後上布の原料は、青芋(あおそ)と呼ばれる上質の苧麻(ちょまorからむし)である。いまは会津方面で栽培されているが、その量は少ない。
 この青芋の繊維を細くさいて糸にすることを、苧績(おうみ)という。青芋をぬるま湯にひたしてやわらかにし、つめでこまかくさく。次にこれをつながなければならない。この場合、よこ糸はひねり合わせるだけだが、たて糸は、はたにかけて切れる心配があるのでかたく結ぶ。布の良否はこの苧績にある。
 上布とは、昔は上等の布のことであったが、いまは平織りにしたものを上布といい、ちぢみはたて糸によりをかけて、シボを出したものをいう。このよりは独特の原始的な手法で強撚(こうねん)される。小千谷ちぢみ特有のシャリ味は、麻の素材とあいまって、この糸から生まれてくるのだ。
 そのほか、写真(前ページ)のようによこ糸でかすり模様を織り出すため、定規(ジョウギ)を使ってのかすりくびりや、さらし場での糸についているのり落としの作業や、雪ぎらしなど、独特の方法によって、この布は作られている。

 宮古上布
 宮古上布は、琉球諸島の宮古島に産する、藍地にかすり柄の麻織物。その手織りの味は、越後上布とともに、夏のきもの地としてもっとも高級なものである。
 以前は薩摩上布と呼ばれていたが、これは十七世紀のはじめ薩摩に征服された琉球が、これらの織物を租税品として、物納していたなごりの名称である。現在は、アメリカ軍の占領下のため、輸入品である。
 宮古上布は山藍染めであったが、インジゴー分が少ないため、いまはタデ藍(監草)、化学染料の藍などが合わせて使用されているらしい。
 宮古上布は一見、ろうを引いたような仕上げになっており、仕立てる際、これを湯通しで除く。これをろう抜きといっているが、実ほろうでなく、いもでんぷんである。

 付 沖縄の織物 P268

 沖縄には、かずかずのすぐれた織物が作られている。十四世紀のころマラッカ、スマトラ、ジャワなどから伝わり、まず沖縄に根をおろし、その技術がやがて日本に渡ったとされている。
 地方色を生かした手法が島によって異なったものを生み出し、宮古島は麻の紺がすり、八重山(やえやま)は麻の白がすり、久米島は久米島つむぎ、その他の島々でも芭蕉布や花織り(紋織りの一種)などが作られている。
 中でもかすり織りは、前ページの写真のように、簡素ながら、他に類のない美しきをもっていることで有名で、日本化されたかすりにくらべて、ここにはまだ原始的なかすり本来の味わいが残っています。











出雲絣の説明四角で括ってある
おばあちゃんの 括り姿の写真説明
 
出雲地方のかすり

 鳥取、島根の地方には、古くから、かすり織りが発達していた。地名によって倉吉がすり、広瀬がすり、安来がすり、浜がすりなどと呼ばれているが、いずれも絵がすりで、藍に白の横がすりが特徴である。
 砂丘の多い土地が棉の栽培に適し、伯州綿として知られており、藍の栽培とともに自給自足の生活の中から、一家の主婦の役目としてもめんのかすりが織られた。
 
作り方は、綿花をつみ、綿屋で精綿したものを紡錘形(ぼうすいけい)にまとめ(しょう巻きといった)、つむいで糸による。
 次に布幅のわくに、一模様だけのよこ糸を一本だけかけ渡し、その上に型紙をあてて、墨で模様を写す。この糸を種糸といい、残りのよこ糸を、種糸に合わせて、荒苧(あらそ)(麻の皮)でかすり目をくくる。たて、よことも糸を藍で染め、はたに仕立てて織る。 
 横がすりが多いが、縦に茶綿(黄綿ともいい、白綿に対する綿の一種)のしまを入れたもの、たて糸に白、または白と藍のより糸を入れたものなど、おもしろいかすりができる。若い母親たちは、子どもの誕生と成長を祈るため、寿の字、鶴、亀、えび、鯉、つづみ、菊、桜、虫かごなど、おめでたく、また楽しいものを選んで元絵をかいた。
 柳宗悦(むねよし)氏はここを訪れて、いまも残るその絵がすりの美しさにおどろかれたという。現在は二、三の研究家によって昔のままの手がすりが作られるほか、数軒のはた屋の工場で、紡績糸による機械織りが作られている程度である。古きよきものは、どのようにしてか残してゆきたいものである。
    (稲岡文子、坂口真佐子両氏の話をまとめました)





かすりくくり(境港付近)
小千谷ちぢみ
小千谷ちぢみは、えりを少し抜いてー  提供/西義株式会社

 小千谷ちぢみについて
 
 小千谷(おじや)付近に麻布を産するわけは、このあたりの湿気の多い空気が麻糸の扱いに適し、糸の切れることが少ないからという。
 また、小千谷の雪ぎらしは有名で、早春の上天気がつづくころ、降り積もった雪上に麻布をさらして、太陽光線と雪の蒸発分とで、麻をまっ自な地に仕上げる作業がくりひろげられる。
 この雪ぎらしの偉力を、麻の洗い張りがわりにも利用すると、えりの黄ばみからインクのしみまでとれてしまうほど。
買った店に頼めば、織り元で引き受けてくれます。
 はじめにも書いたように、麻は水分が好きで、乾燥すると弱くなってしまうので、麻のきものは洗うほどよくなるといわれます。
 きものは、なるべくせんたくしないですむように、大事に着るのが心がけですが、麻だけは布質が洗うたびに生きかえるので、一回着たものはすぐ水洗いをするとよく、洗剤少々を入れた水でさっとゆすぐ程度に洗い、ぬれたまま衣紋かけにかけて陰干しし、えりの部分だけ両側からたたいて形をつけておけばよく、ア
イロンは不要。そんなに洗って、染めがはげないかとの心配はいりません。雪ぎらしをしても落ちないほどの、染め方でできていますから。 (秋場商店調べ)



絽と紗
 
盛夏用のよそゆきとして着られるものに、絽と紗があります。すける絹織物としての魅力は、年配のかたに忘れがたいきものです。
 盛夏用のきものは七、八月だけとされていたが、最近は天候によってあまりこだわりません。

歴史 絽はあと染めの布地として、小紋などの染め物に多く、紗は先染めの着尺地、帯に用いられる。
 絽も紗も、からみ織りの一種であって、古くはインカ裂(ぎれ)にある羅織りに見られる。そのような昔に、これだけ精巧なものが織られたということは、おどろくべきことである。
 日本では仲哀天皇(在位192~200年)のころ、すでにあったといわれるが、はっきりしているのは、天正年間に、明の織工が泉州の堺に来て織り、それが京都に伝わったことである。

三本絽の織り目(織り図の説明)


 写真説明 流水模様の紋紗のきもの  提供/伊勢丹
 
 平 絽
 横絽は、たて糸をよこ糸にからんで図のように組織したもので、たて糸の交差したところを絽目(ろめ)という。ここがすけるわけで、このよこ糸が、三本そろっていれば三本細、五本ならば五本絽、七本、九本など、よこ糸の数が増すと絽目の幅が広くなる。
 三本絽などの細目のせまいものは着尺地として使用され、細目の広いものは染め帯、半えりなどに用いられる。

絽ちりめん: よこ糸に強撚糸を用いてちりめんのようなしぼを出したもの。

こま絽: 強撚糸を用いて織ったもの。着尺地に使用される。

 紗織り

 紗に用いる糸はこまより糸で、図のようによこ糸一本を打ちこむごとに、二本のたて糸を交差しながら、からめてゆく織り方で組織される。
 絽も紗も、このような織り方のために、特殊な織機を用いる。
 光線のぐあいで、布地の表面にモク目が浮き出して見えるのが紗織りの特徴で、表裏の色ちがいのものは、よこ糸に別色を使って、裏にその色を浮き出させたもの。



紋紗(もんしゃ): 模様を織り出した、紗織りの一種。無地染めの高級な着尺地に多い。

透紗(すしゃ): 玉糸を交織し、布地のところどころにつむぎ風の味を生かしたもの。
 

綿織物とちぢみ

 夏のゆかた地は、なんといっても岡もめんが第一ですが、そのほかに、ちぢみ、紅梅など昔から、さらりとしたはだざわりが喜ばれています。化繊、合繊の交織も出ていますが、まだ当分もめん布地が幅をきかせましょう。

岡もめん 手ぬぐい中形に用いるゆかた地を、岡もめんといい、昔は栃木県真岡(もうか)市付近の農家の副業として、良質のもめん地(真岡もめん)が生産されたが、現在は輸入綿糸を使って、愛知県下で多く生産されている。ほかに泉州(大阪府堺市付近)にも産する。たて、よことも30番手の糸を使用する場合が多い。

綿ちぢみ 細番手の糸を強撚して織ったちぢみ織り。ゆかた地にしても岡もめんとはちがった味が、ちょっとした街着にも着られる。
 埼玉県菖蒲の菖蒲ちぢみが有名で、他に数最としては多くないが、千葉県の銚子ちぢみ、徳島県の阿波しじらがある。

綿紅梅 本来は絹地に綿糸をたて、よこに織りこんだ枡目織りであったが、いまは棉地に変わった。古くからあるゆかた布地。

綿リップル: 洋服地のリップルと同じで、織り上げた布地を、型おししてちぢませたもの。最近は合繊との交織もあり、多く出ている。

ウールのきもの: ウールのきものが生まれてから、日本のきものの感覚ががらりと変わりました。非活動的、手入れがめんどうというきものの弱点のうち、後者だけは完全に解消しました。
 ウールのきものによって、帯、下着などの考え方、色のとり合わせ方にも洋服の感覚がずいぶんはいってきて、和服全体の考え方を変えたほどです。
ふだん着と街着は、ほとんどウールになりました。
     
 紗の織り目 P271図の説明
 
270
271



着物の種類のお話し 

織りの話 和装 和裁 繊維 全般

■ウールのきもの
■セルからウールヘ
■化学繊維のきもの
■博多帯
■錦の帯地




■ウールの着物

 ウールのきものが生まれてから、日本のきものの感覚ががらりと変わりました。非活動的、手入れがめんどうというきものの弱点のうち、後者だけは完全に解消しました。
 ウールのきものによって、帯、下着などの考え方、色のとり合わせ方にも洋服の感覚がずいぶんはいってきて、和服全体の考え方を変えたほどです。しかし、時代の流れと共に化学繊維が発達して、最近ではウールというよりもポリエステル生地が多いいようです。
ここは替えた


■セルからウールヘ


 ウールがまだこれほどでなかったときの毛織物に、セルがあった。セルはごく上質の梳毛糸(ソモウシ)を使い、柄も縞(シマ)絣(カスリ)などのすっきりしたものが多かった。
 同じ素材を使ったものながら、ウールのきものの進出により、セルはすっかり姿を消してしまった。
 戦後、一時毛織物の暴落したときがあって、そのころ婦人服向きに織られたウール地は、混乱した経済事情の中で、非常な安価になってしまった。
 頭のよい消費者が、この安いウール地を使って、広幅のぬい目の少ないきものを考えた。これがウールのきものの流行のきっかけとなり、業者もそれに目をつけて、はじめからきもの用のウール布地を織るようになった。
 はじめは桐生、伊勢崎など関東周辺の機業地で作られたが、次いで西陣のお召しメーカーが、たまたま絹糸の暴騰もあってウールを織りはじめた。わずか十年たらずの間に各機業地で盛んに作られるようになったのである。
 現在のウール着尺は、伊勢崎はめいせんの技術をウールに生かして、モダンな板締めがすり(村山大島の手法と同じ)を作り、西陣ウールは精巧な紋織りで知られる。八王子は比較的安い価格で交織ウールを作り、秩父、館林、十日町などでも、それぞれ特徴のあるものを生産している。名古屋付近では、地厚な紡毛地で、ひとえ仕立ての丹前地が作られた。


【特徴・種類】

 ウールのきものは、夏を除いたスリーシーズンに着られる、仕立ては裏をつけないでミシンのひとえ仕立て、あたたかく、よごれたら解かないでクリーニングできる、しわにならない、など便利で経済的な面が、若い奥さんたちのふだん着にピッタリであった。
 ウール布地の欠点(重い、ぬい目がへばる)も、年ごとに改良され、ふだん着、街着、ちょっとした訪問などにまで、広い範囲に着られるようになった。ジャカードマシンによって、いままでになかった紋織りも作られるようになった。紋織りになると、ウールばかりでは織れない。紋柄を織るには絹糸を使って紋をおさえる。つまりシルクウールというわけだが、こうなるとお召しの風合いに近くなる。
 そのほか、オールウール、絹との交織でポーラ(初夏、初秋用)があり、ウールだけでごく薄手に織ったモスリン地、ウールクレープもある。これらは染め布地としても使われている。
 和服用ウール地は小幅物が多いが、三反ものの広幅で織機にかけ、布耳を入れて織ってから裁断する方法のものが多い。 和服向き柄でダプル幅に織り2.2mを一着分としているのもある。しかし、時代の流れから普段にウールを着用する人も少なくなり、最近ではあまり作られなくなっている。 自分の主観か?

【しょうざんウールについて】
 最初にウールの帯を手がけ、次に宇野千代女史のアドバイスによってきもの地を試みた。これは短繊維の処理のせいもあって、地厚でまだ完全とはいえなかったが、昭和三十年ごろに、モヘヤに絹二本を合わせた強撚糸でポーラを織り、サラリとしたよい地風のも打が生まれた。
 現在のウール着尺は、目方が裏づきの絹長着よりわずかに重い程度で、ウールにテトロンの交織がほとんど。テトロンの糸よりに特殊な技術があり、品質表示標に、「からみ糸テトロン」と表示してある。ウールのけばを毛焼きし、テトロンでおさえて、ウールの短繊維としての弱さを、摩擦に強いテトロンで補っているのが特徴。
 これからのウール着尺は、いままでお召しが着られた席に着られるような、高級なおしゃれ着の方向にと、紋織りの模様の部分に絹を使って、あとは地組織の中でウールにまじって底光りのする色つやを出す、そんなくふうもしている。模様も小紋調、友禅調、ろうけつ調など、多種多様のものをとり入れてゆきたいと思っている。値段も一万円前後という手ごろな線でゆきたい。

「男子物」
 柄で変化がつけられないので、原糸のうちに色染めをし、その各色をとり合わせて糸をつむぎ、その糸をよこにして、たて糸を黒、紺、茶などの一色で合わせて、深みのある色合いの布地を織る。オールウールのものが多い。

「紋織物に必要な紋図・紋紙」
 図案がきまったら、こまかい方眼紙の上に一目ずつ色分けし「書き直し、実物の四倍大ほどに引きのばす。これが紋図。織るときには、方眼紙の目の一こまが、たて糸、よこ糸の一本ずつにあたる。
 紋祇は33~36cmに4.5cmのたんざく形の厚紙で、紋図に合わせて小さな穴があけられる。紋織り機(ジャカード機)のたて糸の上下運動をきめるためのもので、よこ糸一本に一枚ずついるので、複雑な模様になると何方枚も必要になる。そのほか糸染め、製経など、一反のきもの地を織り上げるには、たいへんな人の手がかかっているのです。       (株式会社しょうざんの話)   (注)昭和39年頃の話


■化学繊維のきもの


 化学繊維の発達はめざましく、織物の生産量(63年度)は主要繊維総生産量の41.3パーセントを占め、さらに着尺地は15.8パーセントになっています。その比率は年ごとに上昇しており、質も今後ますます改良され、新製品も作り出されることと思われます。 

[特 長]

 化学繊維は総じて軽く、引っぱりに強く、しわになりにくい。天然繊維にくらべて吸湿性が低い。これは、はだ着には不向きであるが、反面よごれが落ちやすく、かわきが早いということにもなる。
 価格が絹より安く、じょうぶな点でふだん着に好つごうであるとともに、手ざわり、光沢が絹に似ているから、ちりめん、お召し、りんずなどの地風をもった訪問着、帯などに、100パーセント化繊や、交織として広く使用できる。絹との交織は、絹の弱さを補い、価を安くするうえにも役だつ。
 繊維によっては熱に弱いものもあるので、とり扱いに注意すること。
 数年前までは、繊維によっては染色に難点のあるものがあったが、最近はその点もほとんど改良され、色も正絹友禅などにくらべて遜色がなく、染めのじょうぶな点はかえってよい。

[種類]

 最近は大手のメーカーが化繊着尺地に力を入れ、一種だけでなく、絹、もめん、毛、または各種化繊をとり合わせ、その配分と糸の処理で、多種多様な地風の布地を作り上げ、織り元によってその商品名もちがっている

●アセテー卜(半合成繊維)を主にしたもの
テイジンアセテート(美よし小紋、セシール小紋など)、ミナロンアセテート(テミナー小紋など)、その他カネボウ小紋など。染色がきれいなので、訪問着、小紋着尺地、裏地が多い。

●ナイロン(合成繊維)
 東レナイロン(いたりあお召し)、ニチレナイロン、旭化成ナイロン、カネボウナイロン、クレハナイロンなど。他の繊維と交織されている場合が多い。

●アクリル
 カネカロン、エクスラン、カシミロンなど。和服地としては少なく、和装用下着、コート地などの交織に用いられる。

●ポリエステル

 テイジンテトロン、東レテトロン(どちらも、お召し、またはつむぎ風な着尺地、雨コート地などに多い)。
夏物として、ポリエステル100パーセントのテトロン絽綿、テトロン紗、麻との混紡で上布の感じに仕上げたニュートロン、テアトロンなどがある。

●レーヨン、キュプラ
 裏地、すそまわしとして多く用いられるほか、糸として交織に多く用いられる。ポリノジックとしてハイポラン着尺地がある。

[扱い方]
 反物のうちに、品質表示のラベルに注意して、おぼえておくと、あとでの扱いにこまらない。最近はとくに、布地の地合いだけでは、性質がわからないことが多いので。
 ひとえはもちろん、あわせでも表、裏、糸とも100パーセント合成繊維が使用してあれば、仕立て方によっては、まる洗いができる。化学繊維は一般に耐熱性が低いので、仕上げのときのアイロンの温度に注意する。
 絹と交織した布地は、なるべくドライクリーニングに出したほうが安心。
                                        (日本化学繊維協会)


■博多帯
 何かの動作で、キュッと絹鳴りの音が聞こえる博多は、音までも楽しめる帯です。夏の街着のひとえ帯として代表的なものですが、近ごろは紋織りで秋冬物も作られています。しま柄が本来のもので、とくに献上は流行を超越した世界的な柄です。フランスの有名デザイナーは、博多献上の丸帯をドレスに仕立てて好評を博したほど。

歴史 
献上とは、慶長五年、黒田長政が領主として、博多織りを幕府に献上したところからこの名が生まれた。この献上の博多帯は、独鈷(どっこ)柄の男帯で、紫、黄、紺、赤、青の五色であった。独鈷は、罪悪邪鬼を打ち砕く法具である。伝説としては、浦田弥三右衛門が聖一国師に教わった図案だとされている。のちその子孫が宋に渡り、さらに織物を研究し、博多に帰国後、広東織りからのヒントをもととして在来の博多織りを改良くふうし、今日の博多帯の地風を作り上げた。

特長
 市販の博多帯には、外見同じようでありながら、価格のちがうのがある。これは手ばたと動力ばたの相違であって、いうまでもなく手織りのものが高価なわけである。手織りの場合、筬を強く三回打ちこむ。これを博多の三度打ちといって、しっかりした地風を作るためのわざである。
一般の博多帯は糸染めの際に五倍子を使う。五倍子はキブシともいい、インキの材料や昔のおはぐろに使ったもの。この中にタンニンがふくまれており、糸染めに使用すると色に深みが加わり、織り地に重量感が出る。


■錦の帯地
 錦地といわれる高級帯地の、ほとんど全部が京都西陣で生産され、西陣帯地の名で呼ばれます。
 桐生でも作られますが、西陣にくらべて、交織物が多く、動力織機を使って、大衆向きの帯が織られています。

■唐織り
 京都西陣で織られる、草花、鳥獣などの紋様をさまざまな色糸で浮き織りし、金銀糸をあしらった豪華なもの。裏を返すと、紋織りの糸が横に通っている。研究家、川島織物の太田氏の説によると、「生経(なまだて)の上に五彩の練緯(ねりよこ)で旋律ある強い織り錦で、その美しさのために唐織りと呼んだ」とある。
 花嫁用の丸帯、袋帯、名古屋帯地などの高級帯地、能衣装などに用いられている。口絵1ページの蜀紅錦袋帯もこの一種である。
生経とは生糸のセリシン(にかわ分)をとり去らぬままのたて糸。練緯は糸をねってつやを出したよこ糸のこと。

■糸錦
 錦織りの一種で、唐織りほどの厚みはないが、色糸、金銀糸を用いた多彩な紋織物。丸帯、袋帯、名古屋帯地、高級子ども用祝い帯に。

■金らん・銀らん
 よこ糸を金糸、または銀糸だけで織った紋織物。箔を使用して織るが、竹べらを使って箔糸一本一本を裏が返らぬように織りこむ技術は、西陣独特のものである。うちかけ、丸帯、袋帯などに。

■つづれ織り
 古くエジプトのコプト(麻糸によるつづれ織り)に、その原型を見ることができる。この技法が欧州ではゴブラン織りとなり、中周大陸においては、つつれ織りに発展した。日本には仏教とともに大陸から渡来したものと思われ、奈良の当麻寺の中将姫のまんだらは有名である。
 江戸末期にいたり、西陣織り元の林某がこの織り方を復興し、改良を加えて今日のもとを作った。明治中期、川島甚兵衛氏は数回の渡欧でフランスのゴプラン織りを研究し、つづれ織りを帯のほかに屋内装飾にまで応用するように考案した。

つづれ織りの特長
 精巧な糸使い、織り上がりは地厚、その豪華さは糸の芸術品というよりほかはない。
 ふつう、たて糸は3.3cmに40~60本をかぞえるが、よこ糸はその幅の倍の長さの糸をくりこんで織る。織りこむときに、のこぎりの歯のようにけずった爪先(つめさき)でよこ糸をつめてゆくので、たて糸はほとんどかくれるように織り上がる。
 たて糸の下に図案をおき、その図案に色糸を合わせながらよこ糸の杼(ひ)を返すので、織り上がった模様の、よこ糸の間にハツリ孔(め)と呼ばれる織り目の間隙ができる。機械つづれには、そのすきまはできない。
 紋織りの帯地は、布幅いっぱいに、よこ糸が通って、それが地組織になり、その上に模様になるよこ糸が織り重なるのがふつうだが、つづれにはそれがなく、各色の厚みが平均になる。これも特長の一つ。
 つづれ織りに使われる糸は、たて、よこともこまよりになった太めの糸。
 織り方としては、単純な平組織なのだが、その密度が緻密であり、原始的な、とさえいえる織り方なので、なれた人でも一日9cmほどしか織れないという。

■そのほかに
繻珍(しゅちん)
しゅす織りの地に模様を織り出した紋織物の一種であるが、最近の帯には少なくなった。
ななこ織り
斜子とも魚子とも書き、目のつんだ、たて、よこの糸が同一に表に出る平織りで、袋名古屋帯などの地の部分に用いられる。

絽つづれ
 絽織りの地に、模様の部分がつづれ織りになったもの。夏帯地。
紗織り
紗のからみ織りの方法で織られた夏帯地。写真は、紋織りで模様をあらわしたもの。

佐賀錦
 いままでは袋物のように小さなものしかできなかったが、箔糸の弱さを絹糸で補って、特別に袋帯が作られている。

化繊、合繊の帯地

 正絹帯地の高価なのに対して、もっと手軽に織りの帯が楽しめるねらいから、交織、化繊、合繊などの帯地が作られ、最近非常に愛好されています。
 オールレーヨン、レーヨンと絹の交織袋帯。ナイロン、ポリエステルを主にし、レーヨン、綿または絹などを交織にした袋名古屋帯。ポリエステルに綿か麻とレーヨンを交織にしたひとえ帯など。どれも図柄に新しさがあり、糸使いなどによい風合いを出すくふうもあって、よい品ができている。値段も三千円、~一万円まで。


染め帯地
 塩瀬、羽二重、鬼しぼちりめん、古代ちりめんや、趣味的にはつむぎ、もめん地などがある。手がき染め、型染め、しぼり染めなどの手法によるか、ししゅうを加えたりして名古屋帯に。
 また、片面にしゅすを合わせて腹合わせ帯に仕立てる。

男子用帯地
 まず角帯であるが、一般的なものは博多織りであり、独鈷、無地、しまなどがある。そのほか西陣帯地の紋織りや打ちひもによるもの、つづれ織りなどがある。
 軽装帯は、前に薄くしんを入れ、結び目がへこ帯と同じで、へこ帯の一種である。
       

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